日本人の性生活

日本ではどんな大人も平気で娼家へ行ってよいし、またどの女も、ある状況のもとでは、自分の魅力で金を儲けるために、娼家で道楽をしてよい。わが国ではそうすると売女という汚名が一生ついて離れないが、日本の婦人はそういう汚名で傷つけられることはまったくない。すなわち日本の婦人は娼婦となっても家族の者から軽蔑されないし、嫌われない。この様な慣習のために、日本の両親は尽ることのない心痛がないのである。一方わが国では、世論や「文化的なモラル」がそれを作っているのだ。

ラインは、日本人の入浴についてつぎのように述べている。「ここで知人は、毎日何回も会い、入浴のまえか、あとで、煙草をふかしたり、お互いにお喋りしたりする。以前は男女両性は遠慮なく混浴していたが、現在では両性は高い仕切りでわけられている。日本人はもちろん全体としてみると高度の段階のモラルをもっていないとはいえ、このようなばあい、無作法なこと─われわれの概念による─をしない。ヨーロッパ人に接触してはじめて彼らは目を開き、この楽園的な単純さに終止符をうった。それは道徳的な堕落の一つのしるしなのか、あるいは羞恥心の欠如なのか。決してそうではないのだ!日本では、大人は、母親や姉妹が労働のさい上半身をあらわに出しているのに見なれているので、女性の裸体にたいして、西洋人とは違った感じをいだくのである。道徳的には非常に感じやすく、立派な、身分の高い人さえも、彼のいちばん身近かな女性が彼の面前で毎日湯浴みをしても、不似合いとは思わないし、また彼女もそうしたために土地の良俗を傷つけた、とは思わないのである」と。

一船長が、有名な性研究家ハヴロック・エリスにこういう話をした。婦人の浴場はまったくあけっぴろげである。いや頭を洗うのを男が手伝うほどである。イギリス人がその近くに行っても、追い払われることはない。しかし私がその近くに行くと、風呂に入っている女は少なからずはじらいを示した。風呂から出た娘は、大胆にも裸で家へ帰ることが多い。このとき、驚くことには、娘は髪を結わないで拡げたまま家へ帰る。この状態は長らく続いたが、ついにわが国人が笑ったり、下品な冗談を言って、彼女たちをおこらせたり、はにかませたので、彼女たちは万が一攻撃をうけるかもしれないと考えて、かくれるようになった。このように堕落は拡がっているし、また異教徒はわれわれと接触したためだけで一そう陰気になった、と。